
偏屈が思う理屈と屁理屈
長い夏休み、約ふたつきの間、例によってこの家族には特別な予定はない。
気の遠くなるような長さである。
子供であればただただ嬉しいけれども、親であれば少し遠い目をすることになる。
相変わらず、この夏も家の手入れと外の掃除をする。
傾いていた垣根を取り壊した後、その跡に生垣風に木を植えるため、40㎝深さの穴を8メートル掘った。そこに住んでいた蜘蛛や蟻やミミズにとってみれば大迷惑である。
掘り進めると子供のこぶし大から、頭大位までの石が次々にでてくるために悪戦苦闘をした。結局掘り起こせないくらい大きな石がいくつか埋まったままになり、植える木には上手に横に根を張ってもらう必要がある。
出てきた石を一箇所に積んでいったら、しまいにちょっとした山となった。天道虫から見たらピラミッドくらいの山である。
土を掘る、石を掘り上げる、石を積み上げる、原始的な作業。
この手の作業をしていると、とりとめのない考えが頭を廻る。
本来注意を向けているのは、作業をしている目線の下の土と石とミミズであるのに、思考は世界の違う場所を思ったり、時間をはるかさかのぼったある時のことを考えたり、最近読んだ本の登場人物について。
そんな時、ふと掘り出した大小たくさんの石の中から、形と佇まいの良いひとつが目にとまり、この石が、太陽の光を浴びるのはいつぶりだろうかと思ったりする。
汗水たらしたこの労働も、結局は意味のないこととしても、それも良し。
この天道虫ピラミッドがまたばらばらになって、石もまた地中に埋まる頃には、私が今度はミミズになっていて、掘り起こされていい迷惑をすることになるのやもしれぬ。
こんな考えにとらわれるのは、夏の緑と日の光が濃すぎるのと、夏休みが長すぎるせいである。
理屈はなくとも、この美しき世界。
定期的不定期な鬼平犯科帳を読み返し期間に入っているので、文体は鬼平犯科帳風。
なるべくカタカナを使わないようにしたかったのですが、メートルとセンチメートルは尺と間への変換が必要です。ピラミッドは江戸時代に何と呼ばれたのでしょうか。スコップは鋤か鍬か。ミミズは長虫か?
そして私は、年々お熊婆ぁに対する親近感が強くなっています。
そういえば、お熊婆ぁ、に小さいぁを使っていることに今回初めて気が付いて、少し感動しました。エモいでねえかよお💙
記憶ではもうすぐ伊三次の最後の回が来るはずで、いつか?次か?と恐れています。この登場人物の命が消えるところはあまりにあっけなく、さらっと流れていくので茫然と置き去りにされるのです。
”そんなこといったってよお、お迎えが来るときゃくるんだよう”、お熊婆さん風。
理屈は通らない。
理屈が通らないことを屁理屈とするなら、理屈が通らないほど屁理屈な出来事は多いと思います。
理屈を押し通そうとしてと大変おかしな、屁理屈な事に終わったり。
この月、屋根瓦屋さんが来ます!
皆さまのご愛顧のおかげであります。
皆様のお皿やカップが、瓦の一枚一枚になってくれます(´;ω;`)ウッ…。
理屈抜きに心より感謝申し上げます!